2024年7月27日に行われた隅田川花火大会では、第一会場のフィナーレが突然中止となり、多くの観客が驚きと失望の声を上げました。
なぜこのような事態が発生したのか、その原因を探ってみました。
大会運営側の発表によると、フィナーレの中止は、第一会場の保安区域内で発生した小規模な火災が原因でした。
観客の安全を最優先に考えた結果、この決断に至ったとのことです。
このブログでは、フィナーレ中止の原因について説明していきます。
伝統と格式を誇る隅田川花火大会
現在の「隅田川花火大会」という名称は、昭和53年に初めて使われました。
それ以前は「両国の川開き」と呼ばれ、昭和36年まで両国橋上流で開催されていました。
しかし、交通の混雑などの理由で、その翌年以降は中止されました。
昭和53年、「隅田川花火大会」として再び開催されることになり、会場はさらに上流へ移動しました。
また、観覧者がより多く楽しめるように、打ち上げ会場を2か所に増やしました。
隅田川に架かる桜橋から言問橋の間に位置する第一会場と、駒形橋から厩橋の間に位置する第二会場の2つのエリアで、花火の競技が繰り広げられ、花火コンクールも同時に開催されます。
1978年(昭和53年)に再開されてから40回目を迎え、東京の夏の風物詩として定着しています。
毎年7月末に開催される隅田川花火大会は、東京都内で最も人気のある花火イベントの一つで、毎回約100万人の観客を集めます。
この大会は、テレビでの生中継も行われ、多くの人々が自宅でも楽しむことができます。
この花火大会では、球形に広がる「割物」と、上空で二つに分かれて星などが飛び出す「ポカ物」といった2種類の花火が楽しめます。
川開きと花火の起源
最も古い記録が残る花火大会は両国のものです。
江戸時代、享保17年(1732年)に大飢饉が発生し、多くの人々が命を落とし、疫病も広がりました。
この災厄の犠牲者を慰霊し、悪疫退散を祈願するため、8代将軍徳川吉宗が水神祭を行いました。
その翌年の享保18年(1733年)、両国橋周辺の料理屋が許可を得て花火を打ち上げたことが「両国の川開き」の始まりとされています。
※江戸時代、隅田川は「大川」とも呼ばれていました。古典落語にもこの名で登場することがあります。
※両国橋の名前は、貞享3年(1686年)に武蔵国と下総国の境界に架かる橋として名づけられました。
第47回 隅田川花火大会 2024の詳細
日時:2024年7月27日(土)19:00~20:30
※第1会場の打ち上げ開始は19:00、第2会場は19:30。
※荒天の場合、中止となることがあります。実施の判断は当日の8:00に行われます。
会場
第1会場:桜橋下流~言問橋上流
最寄駅:浅草駅、押上駅、東京スカイツリー駅、曳舟駅
第2会場:駒形橋下流~厩橋上流
最寄駅:浅草駅、蔵前駅、両国駅、浅草橋駅
打ち上げ玉数
第1会場:約9,350発(コンクール玉200発含む)
第2会場:約10,650発
大会のフィナーレの中止について
7月27日(土)に開催された隅田川花火大会の第一会場のフィナーレは、保安区域内での小規模な出火が原因で中止となりました。
墨田区のホームページにもこのことが報告されています。
以下墨田区ホームページより
本日、隅田川花火大会第一会場(桜橋下流~言問橋上流)の保安区域(立入禁止区域)内において、小規模な出火がありましたが、その後鎮火し、けが人などは出ていません。
なお、その影響により、一部の花火プログラムの打ち上げを実施せず20時25分頃に第一会場の打ち上げを終了しました。
現在、原因などの詳細については調査中です。
フィナーレを楽しみにしていた多くの来場者からは、残念だとの声が上がっています。
フィナーレが中止されたのは残念ですが、また来年の隅田川花火大会や他の地域の花火大会を楽しみに待ちましょう。
まとめ
2024年7月27日に開催された隅田川花火大会第一会場のフィナーレ中止は、多くの観客にとって予想外の出来事でした。
その原因は、第一会場の保安区域内で発生した小規模な火災でした。
大会運営側は観客の安全を最優先に考え、迅速に中止を決定しました。
この決断により、大きな事故や怪我人が出ることは避けられましたが、多くの観客が失望感を抱いたことも事実です。
今後は、より一層の安全対策が求められます。
次回の隅田川花火大会では、安心して楽しめる環境が整えられることを期待しています。