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【K2滑落事故】現在の救助状況は

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2024年7月27日、K2の標高7000メートル地点で平出和也氏と中島健郎氏が滑落する事故が発生しました。

世界で2番目に高いこの山は、その厳しい登頂条件から「殺人山」とも呼ばれ、多くの登山家が命を落としています。

事故発生直後から救助活動が始まりましたが、過酷な環境と急峻な斜面により、救助は難航しています。

ヘリコプターによる捜索で滑落地点は特定されましたが、急斜面のために迅速な救助が困難です。

救助活動には専門家の指導と他の登山隊の協力が不可欠であり、現場では一刻も早い救助が待たれています。

目次

 K2とは

標高: 8611m(世界第2位)

位置: パキスタン・中国の国境付近

初登頂: 1954年、イタリア隊(アッキレ・コンパニオーニとリーノ・ラチェデリ)

竹内洋岳の登頂: 1996年8月14日、日本山岳会青年部隊

K2は世界で2番目に高い山で、パキスタンと中国の国境に位置するカラコルム山脈にそびえています。

この山の標高は8611mで、ヒマラヤ山脈とともに世界に14座ある8000m級の山々の一つです。

K2の名前は、インド測量局がカラコルム山脈で2番目に測定した山であることから名付けられました。

現地の名前が見つからなかったため、そのまま「K2」が正式名称として広まりました。

この山の登頂は極めて困難で、エベレストに比べて成功率が低く、死亡率が高いことで知られています。

登山史には、多くの登山者が命を落とした記録が残っています。

特に、西壁からのルートは非常に稀で、多くの登山家が挑戦しては失敗しています。

登山には体力だけでなく、綿密な準備と豊富な経験が不可欠です。

このルートは裸の岩と氷のクーロワールで構成されており、垂直に近い斜面が登山者にとって大きな挑戦となります。

平出和也と中島健郎

平出和也

1979年、長野県富士見町生まれ。中学で剣道、高校で陸上競技を経験し、大学山岳部で登山を始めました。

2001年にチベットのクーラカンリ東峰(7381m)の初登頂を果たし、以降、ヒマラヤなどの高峰に挑戦し続けています。

2008年にはインドのカメット(7756m)の南東壁を初登攀し、ピオレドール賞を受賞しました。

昨年、4度目の挑戦でパキスタンのシスパーレ(7611m)に登頂しました。

さらに、三浦雄一郎のエベレストや佐々木大輔のデナリなど、登山と山岳スキー滑降の映像撮影も数多く手がけています。

ICI石井スポーツ所属。

中島健郎

1984年、奈良県高取町生まれ。

関西学院大学理工学部に進学し、山岳部に所属。

学生時代にネパールの未踏峰2座に登頂しました。

大学卒業後、プロ登山家の竹内洋岳や「イッテQ」登山部にカメラマンとして参加し、高所登山の映像・写真撮影も手がけています。

K2滑落事故 – 緊迫の救助活動

平出和也氏と中島健郎氏は、日本時間7月27日にK2の標高7000メートル地点で滑落しました。

ヘリコプターによる捜索で滑落地点は特定されていますが、急斜面のため救助が難航しています。

所属する石井スポーツはホームページで状況を随時報告していました。

他の登山隊の協力も得ながら、専門家の助言を基に慎重に救助活動が進められていました。

7月30日、石井スポーツは救助活動の打ち切りを発表しました。

発表によると、滑落地点から動きがなく、崩落の危険性が高いため地上からの接近も不可能で、家族の同意のもと捜索活動の終了を決定したとのことです。

まとめ

2024年7月27日に発生したK2での滑落事故は、登山家平出和也氏と中島健郎氏を救うための困難な救助活動を必要としました。

世界で2番目に高いK2は「殺人山」として知られ、その過酷な環境は救助作業を極めて困難にしています。

急斜面と高所により、救助ヘリコプターの利用も限られました。

捜索は専門家の指導のもと行われ、他の登山隊の協力も得られましたが、現場の厳しい条件は救助活動の進行を遅らせました。

最終的に、滑落地点の状況と二次災害のリスクから、救助活動は7月30日に打ち切られる決断が下されました。

この事故は、登山の危険性と救助活動の難しさを改めて浮き彫りにしました。

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