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日本被団協とは?

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日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)は、1956年に設立された被爆者の全国的な組織で、核兵器廃絶に向けた活動を推進しています。

原爆が投下された広島と長崎の悲劇を風化させず、被爆者の声を国際社会に届けることを目的としています。

特に、1954年に発生した「第五福竜丸」事件を契機に日本国内で原水爆禁止運動が高まる中、被爆者たちが結束して設立されました。

以来、彼らは核兵器の恐ろしさや被爆の現実を広く伝えるため、海外への代表派遣や国連での活動を行ってきました。

しかし、被爆者の高齢化が進む今、彼らの経験や想いをいかに次世代に継承していくのかが、新たな課題として浮上しています。

日本被団協は、未来に向けてその重要な役割を果たし続けています。

目次

被爆者の証言を伝え続けた「日本被団協」

今回ノーベル平和賞を受賞した「日本被団協」は、大変特徴的な平和団体だと言えます。

その歴史をさらに詳しく見ていきましょう。

日本被団協は、1956年8月に長崎で結成された、被爆者による全国組織です。

1954年の米国によるビキニ環礁水爆実験を機に、原水爆禁止運動が広がる中で設立されました。

以来、この団体は核兵器の廃絶と被爆者の救済を訴え続けてきました。

各都道府県にも同様の被爆者団体が結成され、全国規模の活動を展開してきたのが特徴的です。

しかし近年、被爆者の高齢化に伴い、担い手不足に直面しているのも事実です。

これまで11県の団体が解散や活動休止に追い込まれるなど、活動の継続が課題となっています。

現在、被爆者健康手帳を持つ人は10万6825人にまで減少し、平均年齢も85.58歳に達しています。

こうした中、被爆2、3世の参加を呼び掛けるなど、次世代への活動の継承が重要な課題となっています。

にもかかわらず、日本被団協は被爆者の証言を通して、核兵器の非人道性を訴え続けてきました。

その尊厳ある活動が、ついにノーベル平和賞の受賞につながったのです。

核兵器のない平和な世界を目指す、極めて特徴的な日本の市民団体と言えるでしょう

被爆者の現状と核兵器廃絶への取り組み

広島と長崎に投下された原爆による被爆者の平均年齢は、2023年3月末時点で85.58歳に達しています。

この数字は、核兵器廃絶に向けた取り組みを継承する上での重要な課題を浮き彫りにします。

被爆者の高齢化が進んでいる中で、その体験や証言をどのように未来へ伝えていくのかが求められています。

厚生労働省によると、今年の3月末までに全国の被爆者は10万6825人であり、昨年度と比べると6824人が減少したとのことです。

平均年齢の上昇は、過去一年で0.57歳増加したことからも明らかです。

被爆者の居住地としては、広島県に最も多くの5万1275人が住んでおり、次いで長崎県が2万5966人、福岡県が4311人、東京都が3557人と続いています。

原爆投下から80年が近づく中、核兵器廃絶に向けた運動をどのように引き継いでいくのか、また被爆者の貴重な経験をどのように保存し、伝えていくのかが重要なテーマとなっています。

彼らの声を次世代に繋げる努力が、これまでの犠牲を無駄にしないためにも必要です。

「被爆2世」など次世代への継承の動き

日本被団協は1956年に設立された被爆者の全国組織であり、かつてはすべての都道府県に属する団体が存在しました。

しかし、会員の高齢化が進む中で活動の継続が難しくなり、これまでに11の団体が解散または活動を休止しています。

今年5月には北海道の「北海道被爆者協会」が来年3月での解散を決定しました。

こうした状況を踏まえ、被爆者の子どもたち「被爆2世」や支援者による次世代への継承の動きが広がっています。

NHKの調査によると、今年6月には山梨県、富山県、島根県、高知県、大分県の5つの団体で被爆2世が会長や理事長を務めていることが明らかになりました。

また、少なくとも24の団体では被爆2世や支援者が副会長や事務局長として運営に関与しており、活動を行っている団体の6割以上が次世代のメンバーに支えられています。

さらに、今年6月に行われた日本被団協の定期総会では、被爆2世として初めて島根県原爆被爆者協議会の会長を務める本間恵美子さんが代表理事の一人に選ばれるなど、活動の継承が実績として現れ始めています。

これにより、被爆者が抱えた歴史や経験が次世代に引き継がれる道が開かれつつあり、核兵器廃絶に向けた取り組みの発展が期待されます。

【広島県の「被団協」に2つの系列がある】

先ほど紹介した日本被団協について、さらに詳しく見ていくと、その下部組織である「広島県被団協」にも注目すべき事実が浮かび上がってきます。

まず、広島県内には「広島県原爆被害者団体協議会」と「広島県被団協」という、名称がほぼ同じ2つの組織が存在することがわかります。

そのため、理事長の名前を付けて区別されているのが現状です。

特に注目されるのが、これら2つの団体の系譜の違いです。

一方の「広島県被団協」は、旧社会党や総評系の団体で、2000年当時の会員数は約2万人に上りました。

一方、もう一つの「広島県被団協」は、日本共産党系の団体で、会員数は約3,000人とかなり少ないのが特徴です。

更に、日本原水爆被害者団体協議会への加盟状況も異なっています。

社会党系の被団協は正式加盟しているのに対し、共産党系の団体はオブザーバー参加にとどまっているのです。

つまり、広島県内でさえ、被爆者団体の間には政治的な系譜の違いが色濃く反映されているのが実情なのです。

このように、日本被団協の傘下組織にも複雑な事情が隠されていることが分かります。

単一の団体ではなく、その内部にも微妙な亀裂が存在しているのが実態といえるでしょう。

まとめ

今回は、ノーベル平和賞を受賞した日本の市民団体「日本被団協」について詳しく見ていきました。

この団体は、正式名称を「日本原水爆被害者団体協議会」といい、1956年に広島と長崎の原爆被爆者たちによって設立された組織です。

核兵器の廃絶と被爆者の支援を訴え続けてきたのが、この団体の大きな特徴です。

代表を世界各地に派遣し、国連の場でも被爆体験を訴えるなど、「ヒバクシャ」という言葉を世界に広めるなど、大きな功績を残してきました。

ノーベル平和賞の受賞理由にも、「被爆者の証言を通して、核兵器の非人道性を訴え続けてきた」ことが高く評価されています。

しかし一方で、被爆者の高齢化が進み、活動の継承が大きな課題となっています。

被爆2世や支援者らによる次世代への引き継ぎの動きが広がりつつありますが、この尊厳ある活動を永続させていくには、なお多くの困難が待ち受けているのが実情です。

今後も、この団体の活動に注目が集まるでしょう。

核兵器のない平和な世界実現に向けた、誠実で尊厳ある活動を、どのように次世代に引き継いでいくのか、その行方が注目されます。

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